算命学10分レッスン(番外編)算命学を勉強する人たちへ

算命学10分レッスン(番外編)

算命学を勉強する人たちへ

まだ知らない未来を予測することを、一般的に占いと言います。

未来の予測方法もいろいろで、大きくは2つに分けられます。

1つは、占いの根拠を占う側の内面(心の中)に持つ、情緒的で直感的な思考に基づいたもの、

もう1つは、占いの根拠を客観的な何かに定められた基準に基づいたものです。

先に挙げた占いは、霊感占い、フーリングなど占い師のみが知りえる情報を基にしているため、第三者が検証する余地がありません。

もう一つは、統計学や人類の経験から導き出された答えを公式化しているため、第三者にその正否を判断する材料を示してくれます。

しかし、ある意味,、後で書いた占いであっても、占い師の主観が入り込む余地が多くあるものと、占い師の私感は入らないものの、占い師の錬度によって答えに違いが出るものなどがあります。

その前者は、ほとんどの占いに当てはまり、一般的な占術であっても、「・・・流」とか「・・・式」とかの亜流を生み出します。

後者も、錬度の低い占い師が勝手に解釈を変え、「・・・流」などの分派的活動に走りやすくなります。

算命学もこの後者の分類に属しますので、一般的には市井の占いと認識されています。

実際、算命学を教える人も教えられる人も、占いという概念から脱却することが出来ないため、算命学は占いだ、と考えているようです。

それはそれで、その人が算命学と対峙する姿勢として、否定するつもりは毛頭ありませんが、算命学を単なる占いと捉えることは、あまりにももったいないことです。

古代中国で成立したとされる陰陽五行論を基にした、気学や四柱推命など代表的な占いは、人に定められた基準を当てはめ、その人の人生を占います。

しかし、算命学は同じ陰陽五行論を根拠にしているのですが、自然界に人間を当てはめ、その人の人生を自然界の法則にのっとって予測します。

その違いは明白です。

前者は、人の周りで起こるさまざまな出来事は、人を喜ばせたり苦しめたりする現象と捉えます。

運が良いとか悪いとかの現象も、全てあなたの周りに起こるあなたの出来事と捉えて占いをします。

つまり、運が良いとか悪いとかの予測はしますが、そこで占いは完結し、「気を付けてください」、とか「良かったですね」という結論になります。

答えの種類は、良く考えてみると良いか悪いかの50%に落ち着いてしまいます。

一方、算命学は、人の身の周りに起こる様々なことは、全てその人自身に起因すると考えます。

そのため、答えは千差万別、多様多種になります。

人を含め、宇宙空間に存在する生き物は、全て本人が主体であり、他は全て客体だという考えを根底に持っています。

そのため、自分の存在を危うくするものに対しては攻撃をし、自分が存在(生きる)するためには、他の生き物の命をも奪い、食料としたりします。

人が持つこの2つの潜在意識が、人の人生を難しくしているのですが、誰もがそのことはわかっています。

わかっているからこそ「自我を捨てよ」、という宗教の教えにはまってしまう善良な人もいるのでしょう。

しかし、どんな宗教でも自我を捨てたはずが、結局は自我に帰してしまうのはなぜでしょう。

それは、「自我を捨てることによって救われる」という考えが、究極的に自己利益を追求している矛盾に気付いていないからです。

人間は生きている以上、誰も自我を捨てることなどできません。

それを踏まえた上で、自我を捨てる思考の訓練(理論上)をするのが、いわゆる哲学です。

哲学は真理を求める学問で、真理に自我が入り込む余地はありません。

では、真理とは何なのでしょう。

私たちは宇宙という空間の中で生きています。

宇宙空間を支配するエネルギーの法則、換言すれば自然の法則が、私たち宇宙一家にとっての真理です。

自然の法則から決して逃れることが出来ないと認識した時、初めて自我から脱却できます。

自我を持ったまま自我から脱却することこそ、算命学という学問の目的です。

私は、算命学を宇宙エネルギー理論と捉え、全ての現象の基となる万象学であると捉えています。

万象とは、目に見えるものに留まらず、目に見えない現象も含んでいます。

算命学は、理論であり哲学ですから、占いに用いるのには不適切です。

鑑定師に占いを依頼しても、役立たせることは困難です。

自然界の法則は、情を介在させる余地が皆無ですから、情的な答えを要求する人間には不向きなのです。

自分の生を哲学的に捉え、真理(自然界の法則)を人の人生とマッチングする作業ができてこそ、算命学を活用することができます。

つまり、算命学は、他人に占ってもらうものではなく、その理論を自ら勉強することが、一度しかない自分の人生を納得したものにする近道なのです。

 

ドイツ系アメリカ人神学者、ランボルド・ニーバー(1892~1971)の言葉にこんなものがあります。

神よ!

変えることのできるものについて

それを変えるだけの勇気を我に与えたまえ

変えることのできないものにものについては

それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ

そして、変えることのできるものと

変えることのできないものとを

識別する知恵を与えたまえ

『変えることのできるものと、変えることのできないものを識別する知恵』

これを与えてくれるもの、それこそが算命学理論に他なりません。

 

算命学は無情の学問です。

そのため、あなたにとって、良いことも悪いことも、全てが露になってしまいます。

このことを踏まえ、算命学に関わる人は、下記のことを肝に命じておいてください。

 

「算命学は、幸せになるための学問ではなく、不幸を回避するための学問である」

2013-11-27 創喜