算命学10分レッスン(514日目)自然の法則と算命学

算命学10分レッスン(514日目)自然の法則と算命学

 

物を引き付ける力は、万有引力というのが定説ですが、そのほかにも自然には物を引き付ける力が存在しています。

皆さんも良く知っているのですが、実はその正体はあまり知られいません。

磁力という力です。

N極から発してS極に流れ入る磁力線は、N極(+極)はS極(-極)に引っ張られるような現象を生みます。

子供の頃、この目に見えない力を目に見えるようにするため、薄紙の上に砂鉄を敷いて紙の下から磁石を当てて、磁力線の模様を観察したことがあるでしょう。

この力が算命学では、陰と陽の間に存在すると見ています。

陰と陽は、人間なら男と女です。

このような考え方から、干合という理論が生まれました。

 

陰陽論は、超古代中国で考えられた思想と考えられていますが、中国の夏王朝以前の日本にも独自に存在した思想です。

日本(縄文前期から中期)にこの思想が現れた当初、陰は和語で『メ』、陽は『オ』と言っていました。

日本語は、世界で一番一音語の多い言葉です。

一音語とは、一つの音で意味を表す言葉です。

例えば、メは、「目」「芽」「女」などで、柔らかくて瑞々しいものを表す日本語です。

雨のメも天(ア)から降ってくる柔らかくて瑞々しい物ですね。

同じようにオは、「尾」「男」などで、出っ張った物という意味でした。

動物の尾はお尻の近くにある出っ張った物ですし、人間の男もどこかが出っ張っているでしょう?

余談ですが、トという和語は、「戸」「瓊」などで、治めるという意味です。

戸は、外界と仕切るための物で、仕切られた内を治めるために作られます。

瓊はトの教えという言葉があるように、支配者の帝王学の一種です。

そして夫婦(メオト)という言葉が、陰と陽を治めるという意味で出来上がりました。

メとオを治めるということは、結婚して人間関係が治まるということです。

この意味では、超古代の日本の基本は一夫一婦制だったと考えられます。

自然の現象がそのまま言葉となり、現在までも残っている日本語は、我々大和民族が常に自然と一体であったという証拠であり、その意味で自然学である算命学が本場の中国よりも日本でより多くの人に支持されている所以です。

 

余談が長くなりました。

さて、私の持論ですが、五行論に陰陽と相生相剋論の理論を取り入れた算命学ですが、陰陽論には大きな欠点が存在します。

陰陽論は、裏か表か。明か暗か。というニ択の理論です。

陰陽の理論の基となった自然現象の、N極(+極)とS極(-極)について考えてみましょう。

まず地球の北極と南極を思い浮かべてください。

北極がN極で南極はS極(-極)です。

磁力線は北極から南極へ流れていますので、それを利用して航海などで方角を計るためにコンパスが発明されました。

それはよいのですが、問題は陰陽の中間の状態、つまり、陰と陽の間はどうなっているのかということが、算命学でははっきりと説明できないということです。

自然の造形を見てみますと、全ての物質の元の形態は球形です。

原子、元素、天体など物質が自然に存在する形は球ということです。

すると、陰が女、陽が男とする考え方に少し足らない考え方があることに気付きます。

地球を考えてみましょう。

北極が女、南極が男、とすると、赤道付近に位置する人間の性別はどうなるのでしょう。

この考え方こそが、陰陽の狭間に光りを当てる自然な考え方です。

自然は陰から陽への間に、様々なグラデーションを用意しています。

陰から陽へ向かう途中にオナベが居て、陽から陰へ向かう途中に、オカマがいます。

肌の色も、南から黒人、次に褐色人種、中間に黄色人種、そして白人というように、陽(黒人)と陰(白人)の間に違う肌の色をした人類を存在させています。

これが陰陽論から見える自然法則の真実ですから、算命学理論に少し足りないところがあることになるのです。

この足りないところを埋めるのが、算命学を勉強する人が如何に自然の法則をベースに考えられるかということになります。

そのため、私はこのブログを通じて、しつこいほどに自然と人間の一体性を説いているのです。

 

自然の形は球体であり、陰陽もその球体の表面に沿って変化するという考え方をすれば、性と体の不一致で悩む人なども理解出来る社会になるでしょうし、それが自然のことだと理解すれば、当人たちの悩みも解決できるのではと考えています。

 

結論

『陰陽論、それはそれで良いのですが、陰陽の中間はどうなっているのか?という疑問を常に持つことが重要なのです』

2015-01-14 創喜