算命学10分レッスン(977日目)干支暦の成立

算命学10分レッスン(977日目)干支暦の成立

977日目

昨日のブログへの意見で、やはり小難しいというものが多く寄せられました。

私も、干支暦成立の過程は、説明するのが難しいのでまだアップしていませんでした。

そんな状況でいきなり昨日のブログですから、難しいのは当たり前ですね、

敢えて書きましたが、少し反省しました。

そこで、今日は干支暦成立の過程の説明に挑戦します。

なぜなら、私は、皆さんに算命学は理論だ、といつも言っているのに、肝心の出発点の理論を説明していないのは、やはり不都合だと考えたからです。

コメントでは、難しいことを言わずに、陰陽の区別が出来ない時間は取り上げない、どこの算命学の講習でもそう説明している、それで良いじゃないか、というご意見もいただき、なるほどと思いましたが、算命学の批判の材料に使う人にはそれで構わないと思いますが、算命学の本質を知りたいと思い勉強されている方には物足らないのではと勝手に考え、敢えて書くことにいたしました。

興味のある方は、お読みください。

干支暦の成立過程

はじめに

干支暦は空間の記号である干と、時間の記号である支を組み合わせて出来ています。

干は陰陽合わせて10個、支は12個ですから、干と支を組み合わせると120個の干支が出来ることになります。

しかし、天中殺の構造理論でも説明しましたが、支の上に干を乗せて順番に組み合わせて行きますと、支の2つが組み合わさる相手がなく、干が元の甲に戻ることになります。

支に干が2つ足りないので、干支の組み合わせは120通りの半分の60通りしかできません。

つまり、干支は60個しかない、ということになります。それを基に年の分類と月の分類、日にちの分類を60とし、60進法が成立したのです。

つまり、年も月も日も、60を単位に周期をもって回っているとしたのです。

さて、ここで頭に入れておかなければならないことがあります。

干支暦の子とか寅とか、甲とか丁などは、地球あるいは宇宙のどこかに書いてあるのではなく、人間が決めた決め事であるということです。

人間が自然界を想定してある決め事をし、それが自然界と矛盾するかしないかという厳密な検証を経て、人間社会で使用できる暦としたということです。

この手法は科学の世界と同じです。

科学も暦(算命学)も自然の法則を探究する学問ですから、手法が似ているのも納得です。

自然科学はいつでも理論から導き出された「想定される結果(仮設)」があり、それを実験や観察によって証明して行くとプロセスを取ります。

算命学も同じように、寅月という2月は、万物が動き始める時間範囲と想定し、現実に草木が芽吹き、生き物が活躍を始める様子を見て、寅月の時間が持つ空間(28元)が正しい想定であることを知るのです。

このように、季節と時間が一致すれば、人間の生活とりわけ農耕に役立ちます。

私が言いたいことは、干支暦は人間が意図的に作ったもので、なぜ寅が春であり2月なのかという考え方をせず、万物が動き出し草木も芽吹く空間を寅の時間区分に当てはめただけであると理解してください。

そして、年の始まりは木星が、12次という古代の中国で使われた天の黄道(太陽の通り道)を12等分した中の『子(玄きょう)』の位置に入った時を60干支の始まりとしたので、甲子が干支番号1番とされました。

そして、太陽の運行によって月の変化が分かるようにと、太陽(丙)が『寅(析木=せきぼく)』の位置に入った時を丙寅とし表し、60か月の始まりとしたのです。

そのため、干支暦(旧暦)では、2月(2月4日)を新しい60か月の始まり、そして、12か月で区切った新しい1年の始まりとしているのです。

丙は空間の十干、支は時間の十二支から来ていますので、干と支の組み合わせることが出来、それぞれ60の符号が使用することが出来れば、年も月も日にちも同時に使用することが出来るのです。

もちろん、時間分類の十二支と空間分類の十干を組み合わせているのですから、干支暦は時間と空間を同時に織り込んだ暦ということです。

もう少し分かりやすく説明してみます。

例えば、誕生日が1888年8月8日の人がいたとします。

前記の日付は太陽暦によるものです。

この表記では、1888年がどんな年か、8月がどんな月か、8日がどんな日かはまるで分かりません。

歴史の流れの中の位置を、ピンポイントで特定することができるだけです。

同じ日を干支暦で表すと、戊子年、庚申月、辛亥日となり、太陽暦と太陰暦を同時に使ったことになり、途端に命を与えられたように、生年月日が生き生きとしてきます。

しかし、世界がグローバル化し、共通の暦が必用になると、機能性が重視され太陽暦が普及した結果、太陰暦は日本でも使われなくなり忘れ去られてしまいました。

干支暦は60進法ですから、60か月を数えると出発時の干支に戻ります。

そこで年干支と月干支を組み合わせてみると、60年(720か月)に対して、月は60年の間に12回転します。

時間の分類が12、空間の分類が10。1年は12か月ですから、12か月と60か月と10種類の空間を結び付けるためには、60か月を2回転させなければ、12か月と10種類の空間が一致しません。

この時間と空間を一致させるという思考は、東洋思考独特です。

異質の『時間と時間は、決して重なることがない』という考え方です。

例を挙げますと、5時間と5分は決して重ならず、5分は5時間の中に含まれていると考えるのです。

もう少し分かりやすい説明にトライしてみます。

先述しましたように、太陽暦は今年の2月も来年の2月も全く区別のない2月です。

もちろん日にちの区別もありません。

ただそこに、2016年という西暦年(太陽暦)などの要素が加わると、過去から未来へ間断なく流れている時間の中の1点を特定できるという仕組みです。

しかし、干支暦は、今年の2月と来年の2月、あるいは去年の2月とは明確に区別されています。

今年の2月と去年の2月は、決して重ねることができないのです。

つまり、2月という月は、1年の中に包括されているのではなく、空間(干)の範囲を媒体として、年と月が対等の立場で重なる仕組みになっているからなのです。

日にちとの関係も同じです。

干支暦をベースとした算命学の重要な思考は、『時間と時間は重ならず』『空間と空間は重なり合い、立体を作る』というものです。

例えば、時間が作り出す空間に昼と夜があります。

夜は夕方6時以降の時間ですから、朝の9時という時間とは決して重なりません。

6時10分も6時とは重なりません。

しかし、時間が作り出す夜という空間概念は、暗いという空間要素と重なって存在しています。「夜は暗い」のです。

去年の2月という時間は今年の2月(時間)に重ねることができまん。

つまり、過去(去年の2月)は取り戻せない時間の流れですが、去年の2月のような暗い(空間)夜(空間)は、再現できる空間現象なのす。

人間に例えると、あなたが今50才だとしたら、時間である20才(時間)には戻れません。

しかし、あのころの体型(空間現象)には戻れます。

このような理論の基、空間と時間を結びつける干支暦には、1日を細かく区切った時間は、1日という時間単位に包括されているので、算命学で時間を用いることをしないのです。

私の拙い干支暦の成立に関する説明でしたが、少しは分かっていただけましたか?

 

2016-02-24

創喜