人生の大転換 律音・納音

人生の大転換 律音・納音

創喜塾鑑定士芝蘭と申します。よろしくお願いいたします。

さて、算命学を勉強すると天中殺、墓殺格、殺局など恐ろしい言葉と出会いびっくりしてしまいます。しかし、これらとは反対に律音(りっちん)納音(なっちん)という可愛らしい響きの言葉もあります。

私は律音、納音という音の響きが大好きなのですが、この律音、納音が西方に廻った時、私の人生は大きく変わる転換期となりました。ではどのような現象が起こったのか、その体験談を恥ずかしながら律音と納音で2回に分けてご紹介させていただきます。

芝蘭の律音

私は22才から仕事に就き、自宅から通勤しておりました。稼いだお金はすべて自分のために使い、家に帰ってくればおいしいご飯が用意してあり、家事は一斉しなくても済み、完璧なパラサイトでした。両親は大学を卒業と同時に見合い話(今では死語でしょうが)を持ってきて私を早く結婚させようとしておりました。(私は生日天中殺を持っています。親にとっては重荷になる子どもです。)親の顔を立てるためお見合いもしましたが、全く結婚したいと思う方には巡り逢えず、また、結婚しなければという気にもなれず、独身貴族を謳歌しておりました。30才を過ぎるころから見合い話もパタリとなくなり、友達はすべて結婚しましたが、それでも焦ることもなく、結婚しようという気にはなれませんでした。

「結婚すれば苦労するだろうし、気に入った人で、いい条件の人が現れたら結婚すればよいのであって、別に一人でも生活できるし、無理して結婚する必要はないわ」と思っていました。

 

しかし不思議なことに、ある年から急に私も結婚したいと思い始め、周りを見回すと夫が居ました。夫とは6年間同じ職場で働いておりましたが、年下ということもあり、全く恋愛感情を抱いたことはありませんでした。しかし、なぜかこの頃夫が良く見えてきたのです。

しかし、夫の結婚の条件は、母親と同居、父親は夫が幼少の時に亡くなっており、母親は3人の子どもを女手一つで育ててきた人です。(もちろん中年期天将星持ちでした。私は天貴星。敵うわけありません)小姑も一人いました。結婚しても仕事は続けてほしいと言われ、私も仕事を辞めることイコール義母と一日中顔を突き合わせることになりますから、そんなことは無理、無理、絶対無理です。仕事は続ける気持ちでした。しかし、夫の家から勤務先まで片道2時間弱の通勤距離です。朝は6時半には家を出なければなりません。しかし、こんな厳しい条件を付けられても、私の結婚したいという思いは強くなる一方で、この人を逃したら、私は一生結婚できないとまで思い詰め必死でした。

 

あの時どうしてあれほど結婚したくなったのか、不思議で不思議で仕方がなかったのですが、算命学を勉強して分かりました。日柱に律音が廻っていたのです。日柱に律音が廻る時は自分自身の内面の変化、結婚したくなるとあります。

ああ、そういうことだったのかと大変納得しました。

律音が廻っていなければ多分これほど条件のよろしくない夫とは絶対結婚していなかったでしょう。

結婚してこれまでの生活は一転しました。独身時代の何事も自由であった生活は失われ、妻、母、嫁、仕事と一人4役をこなし、家事はすべて任され、朝は4時半に起きて、家族の朝食とお弁当を作り、6時台の電車に乗るため、暑い日も寒い日も自転車を猛スピードで漕いで駅へ向いました。とにかく忙しい日々が待っておりました。

結婚後33年経って夫に、算命学は確かな学問だということを知ってもらいたくて、あの時あんなに私が結婚したかったのは律音が廻っていて、結婚したくてしたくてどうしょうにもないエネルギーが働いたからだと話しました。以下その後の二人の会話です。

夫「じゃあ、相手は誰でも良かったんじゃない、たまたま自分だったというわけ?」

私、真正直に「分からないけど、そうかもしれない・・・・」

夫の顔つきが一瞬変わりました。これはまずい。

私「あなたも天中殺の年だったから」夫の気持ちを算命学にそらせようとしました。

夫「天中殺って何?」

私「本当の自分でなくなる時」

夫 なるほどと納得したというように頷いて「だからあの時、自分も血迷っていたんだ」

私「血、血迷ってた!?????」

私が私なら、夫も夫ですが、33年間夫とはほとんど喧嘩もなく結婚生活を続けてこられました。忙しくて喧嘩をする暇もなかったとも言えますが、このような話が二人でできるのも、律音と天中殺のエネルギーのお蔭と言ってお互い笑って納まりました。

私は律音が廻る5年前に干合が廻っていましたが、結婚したいという気持ちにはなりませんでした。私にとっては干合よりも律音のエネルギーの方が偉大だったのでしょう。

次回は芝蘭の納音についてです。

創喜塾鑑定士  芝蘭