「8月15日、お盆の出来事」

「8月15日、お盆の出来事」

8月15日のお盆の夜に突然蝉が鳴いたことをきっかけに、自分が生かされているということについて改めて考えてみました。

昨年12月に義父(夫の父親)の五十回忌の法要を行いました。50年もたてば故人の個性は極端に薄められ、その霊性は浄化され、仏様の大きな慈悲の愛に融合して私たちをお守りくださる存在となるそうです。

五十回忌のことを阿円忌ともいうそうです。阿円忌とは一つの円(真なる仏の世界)に故人が入られたという意味を持ち、仏様からご先祖様になられたということで、大きな区切りとなるそうです。

義父は亡くなって仏様となり、私たち家族を長年見守ってくださっていたのが、没後50年を経てご先祖様となり、これからはより慈悲深く、たくさんの人々をお守りくださる世界へ行かれたのだろうと思います。今までは身近で見守っていてくださると方と感じていましたので、少し寂しいような気持になりました。

 

人が死ぬと残され者は嘆き悲しみますが、その人たちもいつかは死を迎えます。時間がたてば、亡くなった人のことを知っている人はどんどんといなくなっていきます。ですから50回忌が区切りとなるのでしょう。

私は義父のことは知りませんが、算命学で見た義父の人となりは、大変頭の切れる方で、家族を大切にされる愛情深い方だったと思います。夫は小さいころに父親を亡くしたため、ほとんど記憶に残っていないと言っておりますが、父親の話をすることが供養になると良く言っており、私に覚えていることを話してくれます。子どもたちにも祖父はこんな人だと伝えています。

夫は一週間に一度は墓参りに行きます。息子たちは帰ってくると仏壇に手を合わせ、墓参りに行きます。夫の姿を見て育ったからだろうと思います。

息子たちには自分の子どもにも曾祖父のことを伝えて行ってもらいたいと思っています。

 

人が生まれるということは、男性と女性が結合した結果であり、私の両親も結婚しなければ私は生まれなかったことになります。

このことは両親にも祖父母にも言え、また、私が生まれなければ息子たちも存在しないことになります。

私の体の中には父と母の血が流れています。私の二人の息子にも私の血が流れています。つまり現在生きている私の血と両親という過去の血、息子たちに流れている未来を生きる血、その三つの血が私の体内に流れています。過去、現在、未来の血が一つの体内に流れていると考えると、自分が自分だけのものではないような気がして、とても不思議な気持ちになります。

さかのぼれば過去には祖父母の血も流れています。二代前には6人、三代前には14人、二十代前にさかのぼれば101万人、三十代前には21億人だそうです。人類が誕生した700万年前にさかのぼれば天文学的な数字の人の血が流れていることになります。

この間流れた続けた血が私の中に流れていると考えると、とても神秘的で、いのちの重さを感じ、大変厳粛な気持ちになります。自分を大事にして懸命に生きなければと思います。

 

算命学では月柱を自分のいのちの源、月支元命と言われますが、あらためてそのことを痛感しました。

ご先祖様がいらっしゃったからこそ私という存在があり、何か大きなものに守られて生かされているような感覚です。ご先祖様にいつも感謝をすることを大切にして、これからも生きて行きたいと思っています。

私は幸いなことに算命学を知り、自分の生き方を見つけることができました。算命学との出逢いを思い起こすと、これもご先祖様のお導きだったのかもしれないと思っています。

 

私の住んでいるところでは、例年お盆の8月15日には、精霊流しをお寺で行い、仏様をお送ります。

今から10年前の8月15日にも夫とお寺へ行き仏様をお送りしてきました。その日の一週間前から我が家の老犬、名前はキャパといいますが、寝たきりとなり、獣医さんから一週間持つかどうかわからないと言われ、辛い気持ちでした。お寺の帰り道、夫との会話の中で明日からキャパを置いて仕事に行くのも辛いと話す一方、義父がキャパをあちらの世界へ一緒に連れて行かなかったから良かったとも話しました。

帰宅してしばらくすると夜半であるのに、蝉が台所の窓のあたりから大きな声で鳴き始めました。夜に蝉って鳴くんだと不思議に思いながら、寝たきりのキャパが排尿したので、体をふいてあげました。抱き直したところ、キャパは「うっ」とうなって突然息が絶えました。夫が一生懸命心臓マッサージを施しましたが、息を吹き返すことはありませんでした。

その時は悲しくて辛くて何も考えられませんでしたが、しばらくして、なぜあの夜に蝉が鳴き、突然キャパがあの世に旅立ったのだろうと考えました。

きっと義父がキャパも寝たきりで辛いだろうから、また、私の負担を減らそうとして「キャパ、行くぞ」と言って義父が蝉になって迎えに来たのかもしれないと思いました。

 

今年のお盆は義父はもうご先祖様になったんだなと思いながら、3日間、三度三度食事のお世話をしました。また、キャパも亡くなってから10年目になりましたので、写真の前にお供えをしました。例年のように夫とお寺へ行き、仏様をお送りして帰って来ました。しばらくすると、10年前と同じ場所から、蝉が鳴き始めました。びっくりして夫を呼びました。すると今度は2匹目が鳴き始めました。この10年間、夜に我が家の台所辺りで蝉が鳴くのを聞いたことはありませんでした。

10年前のことが思い出され、しばらく二匹の蝉の声を聴いていました。

義父とキャパの魂が蝉となって帰って来てくれたのだろうと思いました。義父は今年からご先祖様になって遠いところに行くから、妻(義母)を頼みますよと私たちに言いに来たのだろうと夫と話しました。また、キャパもお供えをありがとうと言いに来てくれたと思います。

「はい、お父さん。分かりました。お母さんを大事にしますから安心してくださいね。キャパちゃん。キャパちゃんのこともいつも忘れていないよ」と合掌して応えました。

創喜塾鑑定士  芝蘭