芝蘭 国立国会図書館へ行く

芝蘭 国立国会図書館へ行く

10月中旬、結婚して初めて5日間も自由な時間をいただきました。かねてより行きたいと思っておりました、国立国会図書館へ行ってきました。国会図書館にしかない高尾義政氏の「原典算命学大系 11巻」を見るためです。
私は書道を長年やっておりますが、書道の学習方法はまずは臨書です。臨書は古典を手本にして書くのですが、そこから用筆法、表現方法を学びます。温故知新の世界です。ですから、算命学も一度は算命学を日本に伝えた高尾義政氏の著書は読んでおくことが大切だろうと思っていました。
国会図書館の蔵書は最近デジタル化が始まり、登録すればどこでも読むことができます。しかし、この本は図書館に尋ねると、いつデジタル化されるか分からないと言われました。私が生きているうちにできるかどうかわかりませんので、行く決心をしました。
 本当は東京へ一人で行くのは大変不安でした。私は方向音痴で自分がこちらと思った方向はほとんど間違っています。それでも中心星が車騎星のためチンタラ歩くのが苦手で、息子たちには「お母さんは方向音痴のくせに先頭を歩きたがる」と良く言われます。しかし、こんな機会はめったにないと思い、勇気を出して行きました。
 国会図書館のIDは事前に取得しましたから、後は図書館へ行ってカードを作りました。これがなければ入ることも、借りることも、複写することもできません。
 パソコンに付属している機器にカードを置き、借りたい本を入力します。本が来るまでに30分ほどかかるようで、それまで雑誌でも読んで待っていようと思いましたが、「え!どこにも本がない!」図書館なのに手に取ってみる本がないのです。私が知っている図書館の風景とは全く違います。皆さんパソコンに向かって検索したり、デジタル化されたものを見ています。図書館というより、企業のオフィスのようでした。
ようやく本がカウンターに運ばれ、この本はこの部屋で読んでくださいと言われました。持ち出し禁止です。
 やっとご対面です。大切にページを開けました。感激!文字が思いのほか大きい!最近老眼がひどくなりまして、小さい文字だったら疲れるなと思っていたので助かりました。
 1巻からメモをしながら読み始めましたが、この調子ではほとんど読めないと思い、重要と思ったところはコピーをすることにしました。今回はコピーに専念したので、ざっと目を通しただけですが、算命学は思想、哲学的なことが大切であるということを伝えられたかったのだろうと感じました。
算命学は古代人が自然の中から自然の法則をみつけ、そこから倫理と思想を作り上げました。自然を基礎においた哲学を形成し、その哲学を応用して運命学を作り出しています。ですから、古代の思想や哲学を抜きにして、占いの技術のみを使用したら、何の役にも立たず、それどころか、運命の心理を混迷の世界へ引き戻してしまうだけになると書いてありました。
じっくりと読みこむことはできなかったのですが、私が興味を持ったところを紹介します。
人間は生まれると肉体は分裂によって成長し維持され、霊魂は融合によって成長し維持されます。霊魂は一つのものではなく、諸々の異なった種類のもの(原子)が集まってできており、更にその一つ一つが異なったエネルギーとパワーを所有しています。原子は五行の気(木の気、火の気、土の気、金の気、水の気)、親の気、祖先の気、兄弟の気など諸々があり、時間をかけてそれらが融合して、それぞれの気の境界線がなくなり、混じり合って融合していきます。
人間が死ぬと分裂していた肉体は分裂を止めます。融合していた霊魂は人間が亡くなると今度は分裂をしていきます。
分裂した霊魂は原子となって飛び散って浮遊し、兄弟肉親などに引き寄せられて入り込んだり、入り込まない原子は100年も200年も空間に存在し、100年、200年後に誕生した肉体に入り込み、その人間の霊魂を構成する原子となることもあるそうです。それならば、あの世の世界はないのかしらと私は疑問に思いました。しかし、算命学では天馳星(あの世の世界)があります。疑問に思いましたが、読み進めました。
人によって霊魂の融合速度が速い人と、遅い人があるそうです。融合速度が早い人は凝縮度合いが大きくなり、融合速度が遅い人は凝縮度合いが小さいくなります。凝縮度合いが小さい人は死ぬと分裂速度が速くなります。私は凝縮度合いが小さい人は霊魂が軽く、明るいイメージがします。凝縮度合いが大きい人は死ぬと分裂速度が遅くなります。私は原子がぎゅっと詰まっていて、霊魂が固くて重いイメージがします。
人生を苦と感じる人は融合速度が速く(たくさん引きつけるため)凝縮度合いが大きくなるようです。よって、分裂速度が遅くなります。原子が強力にくっ付いていて、なかなか離れて飛び散って行かない感じです。分裂速度が遅い人は、仏教でいうところの成仏しにくい人であると書かれていました。
ということはあの世の世界はあるということなのでしょうか。といろいろ思ったのですが、あの世の世界があるかないかは誰にもわからないことです。信じているか信じていないかのことです。私はあると信じています。死んだら、亡くなった父や友達に会いたいと思いますし、会えると信じています。
今世で苦労すると凝縮度合いが大きくなって、なかなか成仏できないなんて、この世で苦労して、死んでからもあの世に行きにくいのは絶対避けたいです。
しかし、人生に苦労はつきものです。苦労を乗り越えて人間性が高められてこそ、幸福感を得られます。人生終わりに近づいた時、いろいろなことはあったけれど、幸福な人生だったと思えたら、魂は軽くなると思います。苦労を乗り越え、人生を明るく前向きに楽しく生きて、魂を軽くし、死んだらすぐにパーっとあの世へ飛び散って行きたいです。
魂を軽くして明るくするのが鑑定士の役目だと改めて感じました。そのためにはまずは自分の魂を軽くしておくことが大切だと思います。私が前向きに明るいエネルギーを発散するためにも、心も体も健康でいることが大切です。気心体の一致です。

10月、私は天中殺月で慣れない東京でストレスを感じたのか、胃の調子がずっとよろしくなく、胃カメラを飲んで大丈夫と言われて、ようやく良くなってきました。11月は私が恐れる亥申の害です。害の対策法をしっかりと実施して乗り切りたいと思います。
体は絶不調でしたが、中央は大半会で、心はとても喜んでいました。機会があればまた行ってもっとじっくりと読んでみたいと思います。

余談ですが、この霊魂の部分を読んだとき、私は知念実希人さんの「優しい死神の飼い方」という小説を思い出しました。算命学とは全く関係ありませんが、興味を持たれましたら読んでみてください。

創喜塾鑑定士  芝蘭